
★この町には「赤絵町」という、いかにも職人街をイメージする名称があります。
有田には、豊臣秀吉の朝鮮派兵により、多数の陶工達が来日しました。その中の一人、李参平は、鍋島藩内を探索し、朝鮮の青磁・白磁が日本で生産できる場所(白磁鉱山)を探し求めました。
数年後、有田で理想的な陶土を発見したのです。鍋島藩は、皿山代官所を設置し、技術開発と育成、生産管理、流通を支配しました。
寛永年間、鍋島藩は、酒井田柿右衛門が開発した赤絵磁器の技術の秘法流出を防ぐため、赤絵付けの技術を知る人達を集めて住まわせ、「赤絵町」と命名しました。
★町はJR佐世保線沿いの有田駅と上有田駅の間、約4kmあまりの狭い谷間に帯状にあり、国道がJRに沿って通り、平行して日川・中尊寺川沿いには狭い路地があります。
国道沿いには、大きな妻入りの土蔵造りの2階建、2.5階建、3階建の堂々たる建物が散在します。
特に今泉家、蒲池家、原家、細川家、井手家、川内家等は、よく整備された外観であり、住年の繁栄が伺えます。
又、明治初期にはヨーロッパとの交易が栄え、まちなみ様式にも香蘭社陳列館、異人館のような洋風建築が見られるようになりました。
有田内山地区には147件のこのような伝統的建造物が存在します。
しかし、私は表通りの豪華な土蔵造りよりも、むしろ路地に入り、製陶用の廃窯の煉瓦や窯道具を積み上げたトンバイ塀と称される土塀とその囲み中に感じる赤絵師や陶工達の職人街の雰囲気に、有田らしさを感じさせられます。
天然記念物大銀杏のある泉山地区から白川を見え隠れするように南下、商工会議所からから異人館、陶山神社に至る細い街路は近くの三間坂石を用いてモザイク的に舗装され、深い味わいのあるトンバイ塀が散見されます。
永い歳月焼き込まれたレンガ一枚一枚に、焼き物特有の美しい渋い味が出て有田独自の地域の誇りを、町なみや住宅に表現されています。
以前は、捨てられていた廃炉の煉瓦であるが、再活用され、特色ある町づくりのリサイクル素材として有効活用されています。
この地域独特の素材は、本物のもつ重厚な味わいを感じこの道を歩いていると心地よい。
★地区内には、多数の焼物展示館の他、今右衛門古磁参考館、町立歴史民族資料館、有田陶磁美術館、陶山神社等もあり、陶芸ファンに限らず魅力ある街です。

